夫に口にした
『もういい加減、私達には普通には
子供ができないって、認めた方がいいよ』
という言葉。
前の記事はこちら
心の中で何年も何年も思っていたけど、
認めたくなかった気持ち。
わかっていたけど、信じたくなくて、
認めていなかった気持ち。
初めて
口にしたことで、
抜け殻になっていた気持ちにも
踏ん切りがついた気がしました。
やっとやっと、
切り替えて、いつもの生活というか、
(不妊治療中ではない)
新しい生活を送ることができるようになってきました。
海にも行って、スノーケリングもしたし、
1年生になったばかりの上の子のイベントも色々とあり
忙しく過ごしていました。
夫と仕事で出かける用事があり、
お昼を挟んだので
(子供達がいない夫とのランチも久しぶりで)
子供達とはいけないお店に行こう!と、
ボリュームがあると有名な食堂にランチに行きました。
頼んだメニューは、
「チキンカツ定食」
噂通り、とてもボリューミーで、
衣もたっぷりで、とてもおいしかったんですが、
食べてる最中から胸焼けのような感じがしました。
夫に、なんか胸焼けする~って
話しながら仕事をこなし、
子供達を迎えにいって、
夜になっても、胸焼け気味で。
1日たっても胸焼け気味で。
2日たっても胸焼け気味で。
3日たっても胸焼け気味で。
どんだけ古い油使ってんのっ!!!なんて、
完全にお店のせいすること1週間。
とても暑い朝で
起きて、部屋もわんっとした空気を吸ったときに、
きもちわる・・・
「あ・・・」
「これ知ってる…」
「この感じ知ってる・・・」
と。
「悪阻に間違いない・・・。」
今までは、願っても願っても
裏切られて、
期待して疑っても疑っても、
やっぱり違って落ち込んでいたけど。
この時ばかりは、
妊娠検査薬も使っていないし、
検診も行ってないのに、
分かりました。
あ。
お腹に赤ちゃんがいる。
上の子二人ともつわりがひどく、
2回経験していたので、
悪阻以外の何ものでもないこの感じで、
はっきりとはっきりとわかりました。
自分が
「なかなか妊娠ができない」
ということを自覚する前から、
排卵日検査薬でトライを始め、
その後、色々な検査や手術を経て
人工授精や体外受精etc
という10年は常に、
「排卵日」に身に覚えがあるうえでの、
その結果待ちの状態
からの、
陽性ないしは陰性だったので、
「排卵日」を予測しない状態での、
この状況は、とにかく初めてで・・・
まさに青天の霹靂・・・
自分でも100%「胸焼け」としか思っていなかったので、
夫に至っても、寝耳に水。だったと思うのですが、
何の前触れもなく、
「悪阻以外には考えられない」
と言うと、
「おっ、おう」
と、よくわからない返事をされました(笑)
もしかして、私が「胸焼け」している時も、
つわりじゃないの?とか思っていたのかな・・・???
(↑この話にはちょっと伏線があります。また書きますね)
でも結婚して13年目。
しかも40歳。
私の「不妊治療の終着点」は、
まさかの
40歳で自然妊娠だったのです。
この妊娠が発覚するまでに、
もう一つ忘れられないエピソードがあるので、
次のコラムで書きます。
あともう少しこのブログは続きます。
妊活中私を助けてくれたアイテムを載せています。
過去のおすすめ記事
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28歳 結婚を機に東京から沖縄へ
30歳 妊活スタート
初めてのクリニック
基本検査
タイミング 4カ月
人工授精 3ヶ月
身体中に蕁麻疹
大きい病院でMRI検査
両側に卵巣膿腫が見つかる
31歳 東京の病院で開腹手術
沖縄に戻り経過観察
無事生理再開
排卵を確認
病院に通わず妊活を再スタート
32歳 約1年排卵日チェッカーでの妊活をするもできず
体外受精に踏み切る決断をする
加藤レディースクリニック初診
新鮮胚での移植が決まる
自然周期で1つ採卵
受精確認
分割新鮮胚移植
結果は陰性
2回目の採卵
結果は空砲
33歳 3回目の採卵
2個採卵→胚盤胞に
胚盤胞移植
陽性判定(hcg89)
KLC卒業
沖縄の病院で胎嚢・心拍確認
34歳 第1子出産
~胚盤胞1個 凍結中~
36歳 第2子目指し妊活スタート
子宮ポリープ見つかる
子宮ポリープ剥離手術
凍結胚移植
37歳 結果は陰性
採卵からスタート
2個採卵→2個胚盤胞に
移植周期スタート
子宮ポリープ再発
子宮ポリープ手術
凍結胚盤胞移植
陽性判定
38歳 第2子出産
~胚盤胞1個凍結中~
40歳 移植周期スタート
甲状腺数値、再検査
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尿検査で陽性?
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